コラム

寄稿コラム:人生やりなおし研究所 Talking BAR編 vol.4 「僕らはどんな世界を望むのか ~資本主義とか働き方とか幸せについて」 ゲスト:林 厚見さん(「東京R不動産」ディレクター / 株式会社スピーク共同代表)

2016.01.05

林くんツー

人生やりなおし研究所 Talking BAR編 vol.4「僕らはどんな世界を望むのか ~資本主義とか働き方とか幸せについて」にご参加いただいた白澤健志さんにコラムをご寄稿いただきました。

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今回、このシリーズ初めての途中参加となってしまった。
Be-Natureのある渋谷からほど近い場所で、ほど近い時刻に、知人の結婚式が行われたのである。大病を克服した新郎が、それが縁で新婦と結ばれた、その結婚式である。しかもこの二人は、実はBe-Natureにも縁の深い方々であって、私としてはますます参列せざるを得なかったのである。で、それがお開きになった時には、トークはもう始まっていたのである。
というこの文章は、ほとんどBe-Nature代表の森雅浩さんに向けての言い訳として書いている。森さんごめんなさい。そして今回のゲストの林厚見さんには、もっとごめんなさい。途中参加のくせにレビューを書こうという不遜な態度の私を、初対面の林さんは、そのすべてを透徹するような目で優しく受け容れてくれた(と思う)。

午後7時15分の開始から45分後、午後8時ちょうどに私が会場に滑り込むと、それを合図に森さんが「じゃあここでちょっと休憩を取ります」と宣言。参加者は、料理の追加を注文しに行ったり、周りの参加者とおしゃべりをはじめたりしている。
スクリーンには一枚のスライドが映し出されたままになっている。
「質問 どこで生まれ育ちましたか? 23区内・東京近郊(都下含む)・それ以外」
今日はこの三択が司会の森さんの「ツカミ」だったらしい。

しかしよくよく見るとこの三つの選択肢には、森さんの原風景的世界観が垣間見える。
つまり、都市としての東京を「23区内」に画然と区切り、その周囲に「東京近郊(都下含む)」という(行政上の区画とは異なる)漠とした周縁部を現出させ、それより遠方は「それ以外」と一括する(この分類で行けば、名古屋も島根もアジスアベバもニューヨークも「それ以外」だ)。

一見、徹底的に東京中心であるかのようなこの世界観の真ん中に、だが、森さんの姿はない。
森さんが立つ、この世界観の視座は「近郊(都下)」にある。
都会と田舎、二つの異質な力が混じり合い、せめぎ合い、溶け込み合う「あわい」。繰り返されるArtとNatureの交誼の中から時折まったく新しい価値が生み出される肥沃な境界層。潮目のようなこの「近郊」、とりわけ東京「都下」(=東京都多摩地区の旧称)の出身であることを、森さん自身、自らのアイデンティティの根源に据えている節があるのである。と、同じく「都下」出身の私は勝手に理解しておくことにする。

その森さんはというと、休憩中もせわしなく会場を歩き回り、参加者と個別に言葉を交わしながら、場を温めている。そして、狭い通路ですれ違いざま、私に
「林さんがあまりに頭のいい人で、話についていけなくなったところ」
と囁いてきた。え?と聞き返す間もなく、森さんはキッチンのほうに行ってしまう。
ほんのり漂う不穏な空気に戸惑いながら、近くにいた参加者のひとりにここまでの内容をこわごわ訊いてみる。すると、「林さんが、タワーマンションに関する持論をずっと展開していた」とのこと。
そうこうするうちに森さんが戻ってきた。そして林さんにはご挨拶する間もないまま、トークが再開された。

ここで、ゲストの林厚見さんについて、あらためて紹介しておきたい。
株式会社スピーク共同代表、「東京R不動産」ディレクター。1971年生まれ。東大で建築を学び、マッキンゼーで経営戦略コンサルティングに従事し、コロンビア大の大学院で不動産開発を専攻し、不動産ディベロッパーを経て、11年前に現在の会社を創った。
会場の誰かも言っていたが、本当に、錚々たる経歴である。

そんな林さんが、今回のトークの開催告知に、こんなメッセージを寄せていた。
「はじめまして。気持ちのいい空間や人間の匂いのする街が好きで、そんな場所を増やすための仕事をいろいろ地道にやっております。ありがちなタワーマンションとツルピカなリフォームが嫌いで、なんでこうなるんだろうと、目黒のいつもの喫茶店とルノアールで日々考えて反逆の作戦を練るのが趣味であり仕事です。でも大都市もビジネスも大好きです。森さんは人としてリスペクトしている兄貴です。どんな話がでてくるかわかりませんが楽しみにしております。」

やがて森さんが会場に戻り、トーク再開。
森「ここまでの話、面白かったと思う人は手を挙げて」
林「そう言われたら手を挙げざるを得ないじゃないですか(笑)」
森「林さんって結構しゃべるんだね」
林「森さんのフリが上手いから(笑)」

そんな軽妙なやりとりのあと、林さんが、ここまでの論をまとめるかのように語りだす。

「古い建物が街区ごと壊されてタワーマンションが味気ないかたちでどんどんつくられる。僕自身はそれが好きじゃないけれど、売れるから建つわけだし、ただ否定しているだけでは仕方ない。ツマラないと思うものを、どうすれば少しでもよくできるか…。そのためにはまず、前提となる社会システムを取り込んでいかないといけない」
少数の「意識の高い人」が、多数を変革していくにはどうすればよいか。その鍵を、林さんは、少数派自身の振る舞いに見出す。

「意識の高い人が全体の2割として、その人が、いや2割じゃなくてもいい、たった3%の人が、『超』楽しそうにやること。それが8割の人を変える」
自らの、楽し気な変革者としての歩みを振り返りながら、林さんの口からはその先へと馳せる思いが零れ出る。
「僕らの意志を根付かせてやろう、という思いはある。でも思いはピュアじゃないと伝わらない。そしてピュアな思いは伝わる。そんな感じでこの10年やってきた。そして自分たちの次なる役割は何かと考えている」

…あとから書き言葉にするとこんな感じになるが、実際の林さんのしゃべり方はもっと動的なものだ。ひとつの言葉を口にするとき、林さんの意識はもう次の風景が丘の上まで来ている。その地点に聴き手の我々が漸く辿り着く頃には、林さんはもうその先の峡谷の風景について語り始めている。手を引かれ、全速力でその思考をトレースしていく体験は、慣れれば快感になりそうだが、最初は多少しんどいかもしれない。「あまりに頭がよくて…」と森さんが呟いたのはこのことか、とひとり得心しながら、ただでさえ遅れてきた私は両耳をそばだてながら必死に林さんの話を追いかける。

林さんが話を続ける。
「『流通』に問題があることを発見したのが12年前。いいものを創ればそれでいいじゃん、という建築的なアプローチが主流だった時代に『でも小さな古い物件は出会いの場、機会を作らないとつぶれちゃう』ということに気が付いた。流通を変える。それは、出店する場を創る、つまりチャンスを創るということだった。百人に一人しか理解できないような『とんがった』物件は、売り場という名の出会いの場がないと売れない。だからそういうものだけを選り分けて、マニアが集まる場を創ろう、として創ったのが『東京R不動産』だった」

ここで、お時間のある方は「東京R不動産」のサイトを覗いてみてほしい。ひと目でそれが特別なサイトであることがわかる。掲載されているのはマスプロダクションとは縁遠い個性的な物件ばかり。それぞれの物件には、担当者が、練りに練った紹介文を添えている。書店員による手書きのPOPを思い起こさせるその文章には、肯定的な表現だけでなく否定的な言辞も塗されているが、それがかえって物件のチャームポイントを引き立てている。
万人向けではない、しかしある少数の人にはこの上なく刺さりそうな物件たちが顔を並べるこのサイトを一度を訪れてしまうと、見慣れた大手不動産業者の賃貸物件紹介サイトが、四角四面で無味乾燥な、むしろストレンジなものに見えてきてしまう。

そうやって日々口コミで訪問者を増やし続けている「東京R不動産」も、林さんの意識の中ではすでに「過去」のものになろうとしている。というか、林さん自身が意図的に「過去」にしようとしている風情がある。いったい林さんは、その先に何を見ようとしているのか。

林さんが、おもむろに、タワマンが林立する背景を経済的側面から話し始める。
「国土交通省が『木密(木造住宅密集地域)は危ないから壊せ』という。そうした土地を大手不動産のディベロッパーが例えば6億で買う。ディベロッパーは権利を整理した上で、一戸5000万円で全120戸のタワマンを建てて売る。こうして6億が60億になる。かくして都会にはタワマンがどんどん建ち並ぶことになる」

それはある意味、しようがないこと。そう言いながら、それをどうにかしたいと誰よりも思っているのが林さんである。自らの現在位置を確かめるかのように、これまでの社会と自身の軌跡を、林さんは十年単位の3つのフェーズに区切って解説する。
「この20年くらいの間に『デザイン』の考え方がもてはやされるようになってきた。その概念が広まりゆく中で、クリエーターが建築に関わるようになってきた。ここまでが『ものづくり』のフェーズ」
「でも、折角のクリエイティブなプロダクト(建築物)も、それを求める人と出会わなければ存在しないのと同じ。既存の不動産業界には、そういう出会いを提供する場所も意思もなかった。だから、セレクトショップ的な場を創って両者のマッチングを図ろう、流通そのものをクリエイティブにしていこう、というのが『流通』のフェーズ」
「で、この十年やってきたけれど、今その先のところで壁にぶち当たっている。まちの構造をツマラないかたちで変えてしまうような開発が横行する状況を改善するには、建築基準法をはじめとする都市のルール自体をクリエイティブにつくり変えていかないといけない。ルールを変えるには、みんなの共通の価値観、コモンセンス、あるいは土壌と言ってもいいかもしれないけれど、そこにメッセージを発信していく必要がある」

そして林さんは、ひとつの理想形として、欧州の社会が共有する価値観を紹介する。
「欧州に古い街並みが残っているのは、古いものを残そうというセンスがあるから。制度的にも、欧州では中小企業や個人商店が優遇されている。それに対し日本は大企業が優遇される仕組み。僕らにいわせりゃ、センスがない」
だからといって、「理想は欧州」という単純な結論で終わらないのが林さんである。
「ものづくりの伝統を見ればわかる通り、日本の得意分野は『効率性の追求』。それは事実。その強みを否定して『欧州みたいなのがいい』と言うだけでは、ダメ。日本の強みも生かす解決策をパッケージで提案したい。だけど、それがなかなか難しい」
ここで急に、「目黒のいつもの喫茶店」で「反逆の作戦を練る」林さんの姿が、妙にリアルに想像された。

ここで、森さんが、『社会の意識を変える』ということの困難さについて、自らの経験に照らしつつ言葉を挟む。
「『社会を変える』なんて言う人には、懐疑的な想いを持つことも多い。それは、自分自身、環境教育という『人の意識を変える』仕事に二十年間従事してきながら、あまり社会は変わってないよな、という実感があるから。原発にしてもiPhoneにしても、世の中を変えているのは結局のところ技術革新なのではないかと思う。それを作る人は、でも、社会を変えようなんてあまり思っていなくて、やりたいからやっているだけ、であったりする」

そんな森さんの話を、林さんが、少し別の角度から捉え返す。
「多くの人は、自分にとってアプローチしやすい身近なコミュニティ、つまり家族や街といったところから考えていく。一方で、ソーシャルとかグローバルといった『大きなこと』のほうに関心が強い人もいる。自分は、後者のようにマクロなところを良くしたいと思っている人。けれど前者のような身近なところではあまり出来ていなかったりする。そのことを「できていないじゃない」と家族になじられたり(笑)、それがコンプレックスだったりもするけれど、それでもマクロを考えることから離れられない。それこそ『意識高い系』の人、と言われそうだけど(笑)」

前半のトークから出ていた(らしい)この日の隠れキーワード、『意識高い系』という言葉に森さんが反応する。
「『意識高い系』って、つまり『僕ら』が、社会を変えていこう…みたいな感じ?だよね(笑)。そういえば今日のこのイベントのタイトルも『僕らはどんな世界を望むか』だったんだけど、この『僕ら』って、どう?」
「価値観を共有している人が自分たちのことを『僕ら』と呼ぶのは、別にいいんじゃないかと思っています。自分たちの場合、本のタイトルにもつけちゃいましたし」

ここで林さんが言及したのは、書籍『だから、僕らはこの働き方を選んだ 東京R不動産のフリーエージェント・スタイル』(馬場正尊・林厚見・吉里裕也、ダイヤモンド社)である。東京R不動産のディレクターを務める三名の共著であるこの本には、誰がどのパートを書いたのかという情報が載っていない(主語は『僕ら』)。なので、どれが林さん独自の言葉なのかはわからない。けれど、いかにも林さんの使いそうな表現がいくつかある。

例えば145ページ、社会への影響力の希求について。
『草食的に見える僕らも、もちろん欲はある。成長したいとは思っているけれど、それは「インパクト」、すなわち社会に対する「影響力」を進化させるということこそがその軸だと考える。(中略)では、僕らはなぜ影響力を持ちたいと思っているかといえば、世の中をもっと豊かにしたいという思いがあるからだ』
152ページでは、顧客との関係性について。
『僕らはしっかり顔の見える人たちを相手にしている。お客さんとは気持ちが通じているし、会えばすぐに仲間感覚を感じる。(中略)お客さんが求めているものを理解できずに推測するのでなくて、同じ気持ちで理解できることは素敵なのだ。(中略)他の人があまり理解できない一歩先の世界を見て、そこで悠々とチャンスをものにするのが一番素敵ではないか』

目の前では、林さんが、森さんからの「TPPとかどう?」というフリに答えている。
「グローバリゼーションの流れで世界がひとつになっていくこと、それ自体が悪いとは思わない。国内でも、どこに行っても同じファミレスがあるとか、地方の均質化がネガティブに言われるようになったけれど、それは自分たちが容易に移動できるようになったから感じるだけのこと。個人商店や古い建物が減っていくのは仕方ない。ただ、10が1になっても、ゼロにはしたくないものがある」
「自分でも、都会の便利さと、郊外や地方の人情的なものとを両取りしたいと思っている。目黒だとか武蔵小山だとかに住んだりするのは、そういう中での選択」

自らの住まいの話をきっかけに、林さんが、自身の経歴に隠された思いを明らかにしていく。
「タワマンの林立に象徴されるようなメインストリームは、まだ本質的には変わっていない。でもそんな中でも東京R不動産が小さな一石を投じているという自負はある。ディベロッパーが儲けることは、巡り巡って例えば皆さんの生命保険の健全運用につながっているかもしれないわけで、それを否定するつもりはない。それに対して自分は小さい経済のほうを応援しつつ、ラージな経済の側とも言語を通じたかった」
「それでマッキンゼーに?」
「相手の言葉でしゃべって、こちらの想いを実現していく。大きな経済と小さな経済、それぞれの言語が使えるというポジションをうまく使って」

ここで突然、森さんが言う。
「今日のイベント、サブタイトルに『資本主義』って入れたんだけど、『資本主義』についてどう思う?」
「雑な質問…(笑)。原丈人さんという方が、『増補 21世紀の国富論』(平凡社)という本の中で『長期的な投資しかできない株式市場を日本に作ればいい』ということを言っている。短期で資金を回収しようとする投資案件ばかりになると、目先の利益のために長期的な価値がないがしろにされる。長期的な視野を持った投資は、いい街づくりにもつながる」

森さんが応える。
「お金がお金を生むのが『金融』というシステム。それに対するアンチテーゼとして、藻谷浩介氏の里山資本主義とか、山崎亮氏のコミュニティデザインとかが出てきているのだと思う。林さんの考えは?」
「僕は、四半期で成果を求めるような短期の金融資本主義と、長期のそれ、その両方が共存できるのが理想だと思う。市場は、放っておいても強くなっていくので、そこに修正を加えなくてはいけない、というのが原さんの言っていること。『里山…』の話で言えば、それを馬鹿にする人も、それだけを絶対視する人も、どっちもなあ、と」

「それでも、経済効率を追求すると、1階にファミレスがテナントとして入るようなタワマンになってしまう。そうならないようにするには?」
森さんの何度目かのツッコミに、とうとう林さんが、その「反撃の作戦」の一端を明らかにする。
「繰り返しになるけれど、まず、タワマン開発を否定しているわけじゃない。好きではないけど。けれど、もっといい作り方はある。たとえば足元の空間はもっと楽しくできるはず。あるいは各戸の面積のうち数%を集約してもっと楽しくかつ合理的なシェアスペースをつくるようなことにも色々可能性がある。より人間的なかたちで経済的にもペイするアイデアはありえる。その具体的アイデアを、収支のシミュレーションとともに、ディベロッパーに売り込んでやろうと思っている。東京R不動産の目線でタワマンを考えてみるのもオツじゃないか、と(笑)」
「ディベロッパーは、別に私利私欲ではない真面目な『ミッション』を背負って大開発をする。そんな大手不動産の中にも、会社のミッションに違和感を感じながらやっている面もある。彼らが社内で使えるようなアイデアを提供できれば、内部からディベロッパーを変えられる可能性がある」

最後に森さんが、不動産という業態の根本に立ち返り、『所有』と『共有』について述べる。
「僕が大きな影響を受けた本に『一万年の旅路 ネイティブアメリカンの口承史』がある。その著者、ポーラ・アンダーウッドさんとワークショップを実施したときに、ネイティブアメリカンの研究者が参加した。その彼によれば、ネイティブアメリカンと(合衆国独立宣言起草者の)ジェファーソンが唯一認識を一致させられなかったのが、『土地を所有する』という概念だったらしい。土地はあくまで「母なる大地」の一部であって、個人で土地を『所有』するというのは彼らの価値観と根本的に相容れないものだった。翻って今の日本も、『土地を所有する』というあたり前の視点に対して、違う考え方もあっていいんじゃないか、と思う」
そんな、とりとめもないような、でも主題でもあったような話で、当夜のトークは幕を閉じた。

その晩、自宅で、東京R不動産のサイトをあらためて眺めてみた。
ひとつひとつの物件が、顔を持って、こちらを眺めている。
そうか、林さんたち『僕ら』のお客さんって、物件という名の空間のほうだったんだ。
そこでは、選ばれるのはこちらの方なのだ。

不動産仲介業という、都市のマリアージュを促進するビジネスの領野を、兎のようにジグザグに飛び跳ねていく林さん。
その跳躍の、方向や距離に惑わされてはいけない。それは林さんの目指すところではない。
重ねられた跳躍は、少しずつ高みを目指しながら、やがて十分な高度を獲得する。
その時こそ僕らは、タワマンの間に渡されたバーを軽々とクリアしていく林さんの姿を、目撃することになるのだろう。おそらくこの十数年の間に。
目を離してはいけない人が、またひとり増えた。

白澤健志